しんともブログに名前を戻しました!

金は時なり

どうも、ともずです。

今回は僕が日ごろ感じている「金は時なり」について書こうと思います。

とても大事なお金

僕は今、お金がありません。
といっても別に毎日草食べてるとかそんなレベルではないんですけど、普通に大学生として生活していて、貯金にまで手が回らないという状態です。
毎月入ってきた分がそのまま出て行ってるんですね。
そんなギリギリの生活をしている僕に、先日こんなお誘いがありました。

「他校の人も交えて懇親会(食事会)があります。来てください。参加費は3000円です。」

いやちょっと待てと
大学生の3000円なめないで欲しい。
500円ちょいの学食を一週間我慢してやっと作れる3000円というお金を、そんな簡単に奪い取ろうとしないで。
とは思いましたけど普通に団体としての行事なので嫌々ながら行きました。
社会に出て、人とコミュニティを築く場合には、今回みたいに少しだけ我慢しなきゃいけない部分もあるんだなぁ、と
きっと大人になって社会に出るってこういうことなんだろうなぁ、、、
でもやっぱり、、、、、
3000円は高いよ、、、、、
ケチって言われるかもしれないけど、、、連絡先も交換してないしもうこの先会うはずもないそんな知らん人と一緒にご飯を食べるより
絶対一人で3回ラーメン食べるほうが幸せだったよぉぉ、、、
それにそんなお金があったらもっといろんな人と遊びに行きたかったよ、、、
きっと世の中の多くの人は一度はこんな感じで、お金の使い道で「あ、これ失敗したなぁ」って思った経験ってあると思います。
世の中にはもちろん、そのアルバイトが好きでやってて楽しい!!という人はたくさんいると思いますが、
・お金が欲しいからしょうがなくバイトをしている
・本当はもっと趣味に時間を使いたいのに、どうしてもお金を稼がないといけない
という人も当然いると思います。
僕は後者です。
しなくていいんだったらしたくないし、お金がもらえないんだったら絶対やりません。
つまり何が言いたいかというと、
僕にとってのお金とは、そうまでしてでも欲しいどうしても大切なもの
ということです。

時間の重要性

「時は金なり」ということわざがあります。
明鏡 ことわざ成句使い方辞典には
西洋のことわざである「Time is money.」の訳語
時間は貴重なものであるから無駄にしてはならない。」という使い方
と書かれています。
まずこのことわざ自体、英語で「time」を主語にしていることからもわかるように、時間を中心としてるものです。
時間は限られているし今この瞬間が有益である、というようにこのことわざは
その人の行動そのもの
について働きかけるとても素晴らしいことわざだと思います。
また、「アベンジャーズ」という映画の2019年に公開した「エンドゲーム」という章では
「アイアンマン」として世界のヒーローとなることを選んだ天才科学者トニー・スタークが、亡き父ハワード・スタークが残した言葉として大事にしている、
“No amount of money ever bought a second of time.”
(金で時間は1秒も買えない)
という僕のお気に入りのセリフがあり、
大きいことを成し遂げようとする人ほど、時間というものはなにものにも代えがたいということを実感しているんだなぁ
と思ったことがあります。

「金は時なり」

現実世界でより実感となって我々(特にお金の使い道に困ってる人)に差し迫ってくるもの
それはお金だと思います。
最近バイトをしていて思いました。
人には絶対寿命があるから、時間は当然限られていると思います。
働くってことは、そんな自分の時間がお金に代わってるってことだと言えます
上であげたように、「時は金なり」ほど重要な「時」が「金」に代わってるということです。
つまり、「時は金なり」と言えることと同様に金は時なりともいうことができると思います。
人生において、時間が限られているということは、これから先入ってくるお金にも限りがあるのだと思います。
つまり、使えるお金にも限りがあるということです。
僕はそれだけ大事なお金であるならば、それは同時に信頼にもつながると考えています。

大切な人にかけるお金

 

その人の時間がそのままその人のお金に変わっているんだと考えたら、その人が自分にお金をかけてくれた時、自分はすごく大切に思われているなぁと思います。

その人の人生の中で限られた時間分しかない限られたお金だからです。

 

僕はとてもネガティブなので、これまで嫌なことがあると

「死んでしまいたいなぁ」とか簡単に思ってました。

別にこの世の中、すぐ隣にいる知らない人がいなくなっても特に何も思わないような、そんなもんだと思います。

だから僕の死に興味を持つ人は本当に数え切れるほどだけで、別に僕がいてもいなくても他の人の人生は大して変わらないんじゃないかなーって。

でも、何度そう思っても実際そうしてこなかったのには、もし僕が人生を諦めちゃったら、これまで僕にお金をかけてくれたその人の時間であるお金まで僕が捨てちゃうことになるなぁと思ったからです。

大切な人の時間まで捨てるなんてこと、僕には絶対できません。

誰かにお金をかけるという行為は、誰かへの思いが相手にもわかりやすい形で伝わる、そんな行為なんだと思います。

 

自分に使う場合も同じで、自分にいっぱいお金をかける人はそれだけ自分を大切にできる人だと思います。

人生においてどこまで行っても必ずついてくる自分という存在と向き合うということはそう簡単なことじゃありません。

自分の時間であるお金で自分自身を幸せにできるということは、すごく素敵なことだと思います。

ケチじゃないよ

たまに「お金がないから」と誘いを断ったり、あまり仲良くない人に「これおごってほしい」と言われて拒否したときに

「ケチやん。」

って言われて「あぁ、僕ってケチなんかなー」ってちょっと傷つく、なんて経験ないでしょうか。

 

そもそも「ケチ」ってどういう概念なんでしょうか。広辞苑第六版を見てみましょう。(最新版じゃなくてごめんなさい)

広辞苑では、その言葉の使われ方が古い意味から新しい意味の順番で掲載されているので、順番にご紹介したいと思います。

まず「①縁起が悪いこと、また不吉の前兆。」として江戸時代中期から末期にかけて成立した『誹風柳多留』という川柳の句集で使われていました。

その後、浄瑠璃の『神霊矢口渡』では「②不景気」という使われ方をし、

さらにその後になると「③金品を必要以上に惜しむこと。またその人。」という意味や「④みすぼらしいさま。心が狭く、くだらないさま。」、「⑤手ぬかり。」、そして「ケチをつける」といった時のような「⑥ある語につけて、いまいましい意を表す。」ようになりました。

 

今回特に関係があるのは③の意味と④の意味です。

まず③の意味からですが、必要以上にお金を惜しめば「ケチ」に該当するということですね。

いやちょっと待てと、そのお金がどうしても必要だから惜しんどんねんこっちはと。

つまり、そのお金が必要ならば、定義的に「ケチ」ということにはなりません。

 

続いて④の意味、「みすぼらしい、心が狭い、くだらない。」ですが、みすぼらしいとは主に外見が貧弱だということ、くだらないとは「つまらない。取るに足らない。価値がない。」ということです。(広辞苑参照)

この意味についてはしょうがないですね。

相手にそう思われたのならその二人の中では実際そうなのかもしれない。

でも勘違いしないで欲しいのは、気軽におごるよりも、大切な人が必要な場面でお金を使いたい。

そう思います。

もし今読んでいただいているそこのあなたも同じ気持ちを抱いているのであれば、

その「おごってくれ」を拒否した人との間であなたは「ケチ」かもしれないけど、あなた自体は「ケチ」ではないということができるでしょう。

何度でも言いましょう、お金を大切にしている人がおごらないのは決して「ケチ」なんてものではありません。

最後に

僕にとってお金は大切なもので、これからも自分にとって大切な人や場所にいっぱい使おうと思います。

皆さんがこれからどうお金を使うかというところについて僕は何も言えませんが、もしこれから行きたくない飲み会とか、したくもないのに無駄にお金のかかる遊びに誘われて、断ろうか迷っている人がいたら、別にその場所があなたに本当に大切ではないなら無理して行かなくてもいいと思います。

「金は時なり」と言えるように、あなたや大切な誰かがもたらした大事なお金は、決して簡単なお金ではないからです。

読んでいただきありがとうございました。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA